1: 2019/12/22(日) 05:57:34.53 ID:ee/l/LPV9
プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。
躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。
長嶋の引退と監督就任で動いた歴史
プロ野球の歴史を彩る助っ人たち。もちろん例外もあり、21世紀に入って急増したことで近年は見えづらくなっているが、
20世紀の各チームには、それなりの傾向というものがあり、チームごとに、どこか似た雰囲気の助っ人たちが並んでいる。
タイプが両極端に分かれるのが巨人。「紳士たれ」と義務づけられた巨人にあって、
そのあたりにいる紳士よりも紳士的だった助っ人がいた一方で、実力がありながらも、それ以上に蛮行で印象を残す助っ人も並ぶ。
「紳士たれ」と同様、“巨人の父”正力松太郎の「アメリカ野球に追いつき、そして追い越せ」という言葉は、助っ人の系譜にも影響を与えた。
戦前は表現が難しいが、ユーラシア大陸に生まれたスタルヒン、台湾から来た呉波(昌征)、フィリピン遠征で対戦したことで入団してチーム初の満塁弾を放ったリベラら、いずれもアメリカ国籍ではない。
戦後も、出身はアメリカだが、その走塁でプロ野球に革命を起こした与那嶺要や、捕手の広田順、強打と笑顔で沸かせた宮本敏雄ら日系人の選手ばかりで、V9期間中は助っ人が皆無だった。
そんな傾向が変わったのが1975年。長嶋茂雄が現役を引退し、監督に就任してからだった。自身の穴を埋めるべく獲得したのが、メジャーの名二塁手だったジョンソン。
だが、慣れない三塁で起用したことで低迷し、ファンには“ジョン損”などと揶揄され、長嶋監督からも独特の英語(?)で非難されたこともあったが、翌76年に二塁を任されたことで真価を発揮、リーグ優勝に貢献した。
同じく76年の助っ人V戦士ながら、対照的に短気で、名前をもじって“クレイジー”と言われたのが投手のライトだ。78年に大洋から獲得したシピンも、“ライオン丸”と呼ばれたトレードマークの長髪とヒゲをバッサリ、
見た目は“紳士”となったものの、正義の味方で特撮ヒーローのライオン丸どころかライオンのようになってしまい、狂暴な助っ人だけとなる。
そんな潮流を変えるべく(?)80年に登場したのがホワイト。メジャーの名門ヤンキースでも中軸を担った歴戦のメジャー・リーガーは紳士としても完成されており、死球を受けても顔色ひとつ変えず一塁へ歩く姿は印象に残る。
シピンの後釜として81年に入団し、芸術的とも言われた豪快な三振で名を残すトマソンとともに、82年いっぱいで退団。その後継者となり、
帽子からはみ出たアフロヘアや両打席からの強打でインパクトを残したスミスも、若い巨人に好影響を与えた助っ人だ。
ホワイト同様、メジャーの実績を誇るスイッチヒッターでもあったが、翌84年に入団したクロマティも、そんなスミスには頭が上がらなかったという。
憎めないクロマティ、笑えないガルベス
90年までプレーを続けたクロマティは、抜群の結果を残しながらも、陽気な、もとい、相手チームに礼を欠いたパフォーマンスや乱闘でも印象を残す。
87年には緩慢な外野守備を突かれて西武に日本一を許したこともあったが、89年には打率4割を維持してシーズン規定打席に到達、
最終的には打率.378まで落としたものの、首位打者、MVPに輝くなど、その打棒は巨人の助っ人たちでも群を抜く。
同時期には、角三男、鹿取義隆と王貞治監督の継投策を支えたサンチェを経て、糖尿病と戦いながらもマウンドに立ち続けたガリクソンら投手もいた。
乱闘や非礼なパフォーマンスも、どこかコミカルで、相手チームのファンにとっても憎めない印象もあり、巨人のファンには愛されたクロマティの一方で、
90年代、投手のガルベスが残した蛮行は、巨人のファンでも笑えないものだった。
来日1年目の96年には16勝で最多勝、打っても通算10本塁打、うちグランドスラム2発と結果を残したものの、98年には判定への不服から降板の際に審判をめがけて全力投球。
この前代未聞の暴挙は、長嶋監督を丸刈りにさせただけでなく、引き際も決意させたという。
2000年にガルベスの不振でマウンドに上がったのは阪神から移籍してきたメイだったが、やはり結果よりもトラブルの印象が強い。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191204-00000007-baseballo-base
12/4(水) 16:01配信
躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。
長嶋の引退と監督就任で動いた歴史
プロ野球の歴史を彩る助っ人たち。もちろん例外もあり、21世紀に入って急増したことで近年は見えづらくなっているが、
20世紀の各チームには、それなりの傾向というものがあり、チームごとに、どこか似た雰囲気の助っ人たちが並んでいる。
タイプが両極端に分かれるのが巨人。「紳士たれ」と義務づけられた巨人にあって、
そのあたりにいる紳士よりも紳士的だった助っ人がいた一方で、実力がありながらも、それ以上に蛮行で印象を残す助っ人も並ぶ。
「紳士たれ」と同様、“巨人の父”正力松太郎の「アメリカ野球に追いつき、そして追い越せ」という言葉は、助っ人の系譜にも影響を与えた。
戦前は表現が難しいが、ユーラシア大陸に生まれたスタルヒン、台湾から来た呉波(昌征)、フィリピン遠征で対戦したことで入団してチーム初の満塁弾を放ったリベラら、いずれもアメリカ国籍ではない。
戦後も、出身はアメリカだが、その走塁でプロ野球に革命を起こした与那嶺要や、捕手の広田順、強打と笑顔で沸かせた宮本敏雄ら日系人の選手ばかりで、V9期間中は助っ人が皆無だった。
そんな傾向が変わったのが1975年。長嶋茂雄が現役を引退し、監督に就任してからだった。自身の穴を埋めるべく獲得したのが、メジャーの名二塁手だったジョンソン。
だが、慣れない三塁で起用したことで低迷し、ファンには“ジョン損”などと揶揄され、長嶋監督からも独特の英語(?)で非難されたこともあったが、翌76年に二塁を任されたことで真価を発揮、リーグ優勝に貢献した。
同じく76年の助っ人V戦士ながら、対照的に短気で、名前をもじって“クレイジー”と言われたのが投手のライトだ。78年に大洋から獲得したシピンも、“ライオン丸”と呼ばれたトレードマークの長髪とヒゲをバッサリ、
見た目は“紳士”となったものの、正義の味方で特撮ヒーローのライオン丸どころかライオンのようになってしまい、狂暴な助っ人だけとなる。
そんな潮流を変えるべく(?)80年に登場したのがホワイト。メジャーの名門ヤンキースでも中軸を担った歴戦のメジャー・リーガーは紳士としても完成されており、死球を受けても顔色ひとつ変えず一塁へ歩く姿は印象に残る。
シピンの後釜として81年に入団し、芸術的とも言われた豪快な三振で名を残すトマソンとともに、82年いっぱいで退団。その後継者となり、
帽子からはみ出たアフロヘアや両打席からの強打でインパクトを残したスミスも、若い巨人に好影響を与えた助っ人だ。
ホワイト同様、メジャーの実績を誇るスイッチヒッターでもあったが、翌84年に入団したクロマティも、そんなスミスには頭が上がらなかったという。
憎めないクロマティ、笑えないガルベス
90年までプレーを続けたクロマティは、抜群の結果を残しながらも、陽気な、もとい、相手チームに礼を欠いたパフォーマンスや乱闘でも印象を残す。
87年には緩慢な外野守備を突かれて西武に日本一を許したこともあったが、89年には打率4割を維持してシーズン規定打席に到達、
最終的には打率.378まで落としたものの、首位打者、MVPに輝くなど、その打棒は巨人の助っ人たちでも群を抜く。
同時期には、角三男、鹿取義隆と王貞治監督の継投策を支えたサンチェを経て、糖尿病と戦いながらもマウンドに立ち続けたガリクソンら投手もいた。
乱闘や非礼なパフォーマンスも、どこかコミカルで、相手チームのファンにとっても憎めない印象もあり、巨人のファンには愛されたクロマティの一方で、
90年代、投手のガルベスが残した蛮行は、巨人のファンでも笑えないものだった。
来日1年目の96年には16勝で最多勝、打っても通算10本塁打、うちグランドスラム2発と結果を残したものの、98年には判定への不服から降板の際に審判をめがけて全力投球。
この前代未聞の暴挙は、長嶋監督を丸刈りにさせただけでなく、引き際も決意させたという。
2000年にガルベスの不振でマウンドに上がったのは阪神から移籍してきたメイだったが、やはり結果よりもトラブルの印象が強い。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191204-00000007-baseballo-base
12/4(水) 16:01配信
3: 2019/12/22(日) 05:58:19.22 ID:+i9wMzoc0
グラッデン
6: 2019/12/22(日) 06:01:02.31 ID:XCfsItvF0
ガルベスが牛乳のCMに出てたってのが皮肉な話だよな
11: 2019/12/22(日) 06:16:11.65 ID:dr2C3AHU0
ガルベス好きだった
13: 2019/12/22(日) 06:27:20.62 ID:vwqeVn+10
肩に小錦のヒルマン
浅草人力車観光だけして帰ったミセリ
浅草人力車観光だけして帰ったミセリ
14: 2019/12/22(日) 06:32:33.92 ID:2KuOh+imO
横浜にいたブラックスだっけ
あいつは怖かった
あいつは怖かった
16: 2019/12/22(日) 06:35:02.57 ID:EtqB78xu0
モスビー、グッテン、マック
25: 2019/12/22(日) 07:17:36.31 ID:wHw2xnkQ0
>>16
グラッテンだろ
グラッテンだろ
20: 2019/12/22(日) 06:58:51.36 ID:75jD5G4X0
コトーとバーフィールドが好きだった
21: 2019/12/22(日) 07:07:56.65 ID:UxyGAeZL0
西武の外人のほうがヤバそう
22: 2019/12/22(日) 07:10:35.89 ID:0OsYXErH0
後世に名を残したという点ではトマソンが一番。
芸術の一ジャンル名になっている。あ、芸術じゃなくて超芸術だった。
芸術の一ジャンル名になっている。あ、芸術じゃなくて超芸術だった。
23: 2019/12/22(日) 07:12:28.03 ID:HVHWtINU0
最近の外人は小者ばかりだな。
26: 2019/12/22(日) 07:17:56.99 ID:OqTy80j4O
「クロマティ、顔が真っ青です」という実況が忘れられない
37: 2019/12/22(日) 08:07:19.29 ID:BwbYw7wi0
「台湾のイチロー」もいたな
38: 2019/12/22(日) 08:21:30.85 ID:jaartKr40
グラッデンと古田の殴り合いは迫力あったな
41: 2019/12/22(日) 08:34:33.91 ID:MByEzZCc0
>>38
古田じゃなくて中西じゃね?
古田じゃなくて中西じゃね?
52: 2019/12/22(日) 09:12:52.54 ID:UI2yCtFM0
アウトカウント間違えて観客席にボール投げ込んだのはレイサムだっけ?
54: 2019/12/22(日) 09:42:19.71 ID:kjhS94Tj0
呂明賜には憧れた
56: 2019/12/22(日) 10:02:45.69 ID:8wla96Xa0
サンチェは凄い球投げてたな
60: 2019/12/22(日) 11:31:12.31 ID:q8ad+Cpr0
ホワイト好きだったけど肩が弱すぎて泣いた
引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1576961854
この記事へのコメント
コメント一覧 (6)
成績も良かった
なお年俸がメジャー級で巨人でさえ払いきれずにサヨナラしちゃった模様
gsoku777
がしました
gsoku777
がしました
結果よりトラブルが云々とか何いってんだろ
gsoku777
がしました
あんなの全然愛されてないやろ
今も仕事なくなったのか急に巨人にすり寄ってるし
いまだに大嫌いや
gsoku777
がしました
gsoku777
がしました
元々、あんなストとか無ければ、来る選手じゃなかったからな。
gsoku777
がしました